おまじないに出会う前のこと④
おまじないに出会う前のことシリーズ
いよいよ?「おまじない」に出会う話に入るよ。
今までの話はここから見てね♪
無事に就職が決まった!というところまで
前回書いたね。
就職してめでたし!というわけではなかった。残念ながら
思っていた仕事とは違う
通勤が大変
ストレスフルで通院生活
休職→退職
転職を何度も繰り返し
結局、私は
大学を卒業してから、今までの12〜3年間
全部で7つの職場を体験してきたらしい
(数えきれなくて、先輩が数えてくれた)
長いところで3年
短いところは数ヶ月
ここ数年の転職は
前向きな転職だけれども
(通勤を短くしたい、家事ができるライフスタイルにしたい、自分らしく働きたい など)
22〜28歳までの間の転職は
ほぼ全てストレスによる体調不良による退職だったよ。
今度こそ!と思って頑張るのに
なぜか空回り
御局様からは毎日「ブサイク」と呼ばれ
挨拶交わすのは警備員さんのみ…
満員電車では過呼吸になり
山手線が怖くて乗れない
しまいには、生きてる意味すら見失って
電車のホームで1人佇んでいた時もあったよ。
友達は結婚して、お家買って
子どもを授かっていくのに
私は人と会うのが怖くて外に出られない…
なんでだろう?
どこで間違えたんだろう?
夢は叶うものだったのに
なぜ?どうしてこんなに辛い目にあわなきゃならないの?
大学生の時は みんなと同じだったのに…
今ならね
「社会人とは辛くしんどいものである。
お給料とは我慢料」
そう思っていた自分の心が
そのまんま現実になっていたからだよ。
って思うよ。
当時はね、そんなこと知らなかったから
「悲劇のヒロイン」街道まっしぐらだったよ 笑
自分のダメなところばかり目について
過呼吸の発作を繰り返し
いろんな検査を受け
原因不明の体調不良や発作と闘っていたある日
本屋さんで、一冊の本に出会ったんだ。
それが、服部みれいさんの「あたらしい自分になる本」
パラパラっと立ち読みしたら
これだー!と思うところがあって
早速買って、一気に読んだ!
その本には、ホオポノポノやスペースクリアリング、冷えとりのことなどが書いてあってね
この本に書いてあることをやってみたら
私の人生変わるかも!と思って
できるところからやってみることにしたんだ。
まずは、スペースクリアリング
紹介されていた本
カレン・キングストン 著
を読んだら
猛然!とお片づけしたくなって
まずは、お部屋中を片付けたよ。
お洋服も段ボール3箱分処分することを決めた
古着屋さんに持っていったりしていた中
処分を躊躇っていたものがあった。
それは、リクルートスーツ
窮屈で堅苦しくって
私の一番苦手な服
もう必要ない!
心はそう言うけれど
頭では「これからまた仕事探しにいくのだから」と思って
手付かずになっていた。
お誕生日の3日前のことだった。
そして、28歳のお誕生日を迎えた時のこと
仙台で小さな地震があった。
幼なじみちゃんがお祝いの席を設けてくれて
「おばあちゃんたち大丈夫だろうか?」と話していたんだ。
私と幼なじみちゃんは、おばあちゃんが仙台にいる。
そして、私は高校生の時、仙台の学校で寮生活をしていた。
28歳を迎えて数日経った
3.11の日
それは、起きた。
久しぶりのアルバイトの日だった。
東京でもびっくりするほどの大きな揺れ
上司が「東北で大きな地震が起きたようだ」と教えてくれた。
その晩から、仙台のおばあちゃんに連絡を取り続けたけど
いつまで経っても連絡が取れなかった。
発作がまたぶり返した。
仕事を休み
新聞を読み
どうしよう…
大好きな仙台が大変なことになってる
でも、私は発作なんか起こして
外に出られない
私のできることはなんだろう?
泣きながら考えていたよ。
そしたら、寮時代のお友達から連絡が来た
「後輩たちのためにお洋服を送って欲しい」
「寮の○○先生宛てにきれいなお洋服を送って」
「スーツも歓迎だよ。お葬式に着ていくものがないし、就職活動もできない子がたくさんいるから」
そのメールに勇気をもらって
友達たちに声をかけて
母校にお洋服を送った。
私の処分できずにいたリクルートスーツも。
思わぬところで、役に立ってびっくりした。
その後、おばあちゃんと連絡が取れ
お家が大規模に壊れたことがわかったよ。
高齢者の1人暮らしには
空いてるお部屋を貸せないと言われ
急遽、私が仙台に行っておばあちゃんと住むことになった。
おばあちゃんの子どもや孫の中で
一番身体が自由だったのがわたしだったから。
発作起こすとか言ってられない状況だった。
とにかく、住む場所がおばあちゃんには必要だった。
私も、何かできることがしたかった。
仕事の契約が切れ
新幹線が開通した2011/5
仙台へ向かった。
そこから、80代のおばあちゃんとの暮らしがスタートしたんだ。
当時おばあちゃんは内装業のお仕事をしていた。
津波や地震で被害を受けた(といってもまだ修理可能なもの)
障子や襖を
おばあちゃん、叔父さん、職人さんと一緒に
毎日どんどん修理して張り替えていった。
毎朝5時に起きて
夕方までせっせと働いた。
慣れない暮らしの中で
私はまた体調不良になった。
障子や襖のお仕事から外れて
おばあちゃんと住んでるお家で経理の仕事を担当することになった。
突然、自由な時間がたーくさん出来た!
今だ!
そう思って、知りたかったことを
片っ端から調べ始めたんだ。
服部みれいさんの「あたらしい自分になる本」に紹介されていた本を買ってきて読む
見えない世界に興味を持ち始めたのも
自分の内面と向き合うことが
生きやすくなるコツだと知ってきたのもこの頃
レイキを伝授してもらって
毎晩、仕事から帰ってきたおばあちゃんにレイキあてていた。
クリスタルを愛で
アロマオイルをたいて
ハーブティーを飲んで
のんびり帳簿をつけていた。
「おまじない」の世界に触れた時間だったよ。
私はこういう時間が好きなんだ♡
毎日家事をして
クリスタルやアロマオイルやハーブティと一緒の時間が好きなんだ♡
初めて、自分の好きな時間に目を向けることができるようになったよ。
仙台での生活はなかなかハードだったけど
おばあちゃんとの生活は
のんびり〜で楽しかった♪
両親のように神経質なところはない人だったから
「薫ちゃんの好きなようにすればいい」と言って
何もかも私にお任せしてくれたんだ。
食べたいご飯を作って
おばあちゃんに貰ったお金で生活用品を揃え
時々、東京に帰る生活を楽しんでいた。
ところが、父が進行性の早い癌にかかっていることがわかり
おばあちゃんが脳梗塞で倒れちゃったもんだから
私のぬくぬく仙台生活は、ピリオドを打つことになったんだ。
あー長いね
この話 笑
今日は、「おまじない」に出会えた時の話でした♪
まぁ、そんなわけで
一冊の本がきっかけで
私は自分の内面を見つめることの大切を知ったんだ。
そして、どうやら、この世界は
私が思っているほど悪くないこと
私がダメなわけではないこと
自分の見方をチェンジしてみると
生きやすくなるかもしれないこと
そんなことをこの28歳の時に知ったんだ。
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